とりあえず今は猫とバレエ

飼い始めたばかりの猫ちゃんと、初心者すぎるクラシックバレエを中心に色々

「アナスタシア」英ロイヤル・バレエ(映画)

映画館でクラシクック・バレエを楽しむのも定番になってきましたね。

「アナスタシア」を観てきました。

http://tohotowa.co.jp/roh/movie/anastasia.html

自分は皇女アナスタシアだと信じる、アナ・アンダーソンの物語。



先に三幕から説明すると、
自分は皇女アナスタシアだと主張するアナ・アンダーソンの、精神病院での描写が三幕。
(作品解説でいうところの、アイデンティティー・クライシスな世界)

一幕、二幕は
そのアナ・アンダーソンの、皇女アナスタシアだった頃の幸せに満ち足りた時代。

上演前にも、休憩中にも
丁寧な解説やインタビューがあって
とても理解しやすく観やすいと思います。

上演前のインタビューでアナを演じるオシポワが
一幕、二幕はアナの頭のなかでの世界だ…みたいなことを言ったのがとても印象深かったのです。


そして、幕があがると。

船の上なのかな、広い広いデッキで
将校たちや、姉たちと楽しそうに踊るアナスタシア(アナ)。
皇帝や皇妃もあらわれ、愛され可愛がられる幸せなアナスタシア。
そして後ろに控える不気味なラスプーチン

ちなみに将校たちの中に
先日プリンシパルになった平野亮一さんもいました。
やっぱり日本人離れしたたくましい体型、素敵!


解説通り、古典バレエを楽しめる内容のはずなんだけど…
なんだろう、どこか暗いんですね。
アナスタシアも幸せそうなのに。周りのみんなも笑顔なのに。
どこか、空回りしているような…

そしてひっそりと不気味なラスプーチン、何かを思い出すような…と考えていたとき、
アッと、繋がったことがあったのです。



まずはオシポワのインタビューを思い出し。
そうか、これはアナの頭の中の世界なんだ…
だからどこか絵空事のような、現実感がないんだと。
そう納得したとき、ラスプーチンが。
あっ、このラスプーチン、何かを思い出すと思ったら。

(漫画ですみませんが)
楳図かずおの名作「洗礼」に出てくる、若草いずみの妄想が生み出した主治医の先生に…似てる!!!
って思っちゃったんですね。

精神の歪みが生み出した妄想の産物…


その私の発想が、あまりに目の前のアナスタシアの世界とリンクしすぎて
ぞわぞわしてしまいました。

と、なると。

このアナスタシアは、アナにとって
理想のアナスタシアでなくてはならない。

ならば
誰もが憧れるような美しいバレエを踊れるダンサーでなければいけないな、って思ったのです。
アナの妄想を満たせるような。

そうか、そうなると
このアナスタシアは誰でもやれるわけじゃないよね…


案外、精神病院にいる現実のアナは
バレエなんて全然出来ないかもな、
大人バレエで必死こいてる私レベルなのかもな、とか思っちゃいました。

一緒に踊るアナスタシアのお母様も美しく優しく、
あまりに理想の母親像過ぎて
それがさらにアナの妄想感を高めました…(´-ω-`)


だいたい、母親や、姉たちと仲良く一緒に踊るシーンがあるのもね。
なんか、バレエのワンシーンとして珍しい気がして。
私の感じた通りなのかどうなのかはわからないけど…
そういうシーンを盛り込んだマクミラン(振付)の
凄さに感じ入りました。


二幕はちょっと成長して
社交界にデビューしたアナスタシア。
ロシアの社交界なんて
贅沢の極みを尽くした華々しさがイメージなのですが
やはりどこか暗い…

ロシア革命が起こり、二幕は終了。



うって変わって三幕はざんぎり頭で、精神病院のベッドに座っているアナスタシア…アナから始まります。
アナの目の前に次から次へと現れる父、母、姉たち、弟…


みな、一幕二幕の頃のように
アナのそばにやって来て、同じように手を取り踊る。
しかし、あらあら、なんだかこのお姉さまたちの方が
一幕の時より楽しそうに見える……


妄想こわい…




ラスプーチンも現れるけど
一貫して不気味。


なんかね。
「洗礼」の先生に似てると思ったせいか
アナがこのような、精神的に崩壊する方向に向かったきっかけは
まず、このラスプーチンが見えたせいなのかもと思ってしまいました。

ある時から現れたこの男、不気味で、払っても払っても消えてくれない。
その男がどこかで見聞きしたラスプーチン
アナの中でイメージががっちりと合ってしまい、
そこから自分は皇女アナスタシアなのだと思うようになったのでは??
と…。


三幕の最後に、アナは決壊したかのように
ラスプーチンにキック、キック、キックの嵐をお見舞い。
かっこよかった。
最後までアナは苦しみ、ベッドの上で
皇帝一家の妄想に囲まれていたけれど。
そのシーンがあるとないとじゃ、こっちの気持ちが違ったと思う。


最初の解説にアイデンティティー・クライシスと言ってたけど、
アナの苦しみは、精神錯乱があるからじゃくて
みんなが自分がアナスタシアだと信じてくれないから…なんでしょうね。

私は妄想とずっと書いてるけど
アナにはそれが妄想じゃないのね。
だから、アイデンティティー・クライシスなのか…


あれやこれや書いたけど
アナはアナスタシアではなかった、とはっきりえがかれてはいないです。
どちらかはわからない。

しかし、物語が深すぎて
マクミランの天才性に度肝を抜かれる作品でありました。



そして思った。
漫画の深読みは、バレエの鑑賞力を鍛えてくれるとあらためて(笑)。

だって、ロシア皇帝一家の雰囲気とか
その時の貴族たちの贅沢三昧とか
ラスプーチンとか皇太子の血友病とか、皇女アナスタシアとかも
ぜーーーんぶ、かつて読んだ漫画のおかげで予備知識もあったんですもん。

漫画はバレエ鑑賞力にとっても役立ちます。
ほんとに(*´ω`*)


ナタリア・オシポワ、素晴らしかったです!
6月にジュリエットを観てから
意識して動画とかも観てたけど
オシポワはエネルギーがすごくて
何を踊っても、生命力に溢れてキラキラしてる印象。
そこが好きじゃないバレエファンの方もいるようですけど
私はオシポワのその、隠しきれないエネルギーを感じるのが好きです。
隠しきれないというか、押し込められないというか。

オシポワのオディールとか観てみたいな。
テニクックもだけど
生命力溢れるオディールとか、爽快じゃないですか。

バレエあれこれ

パリオペラ座に新しくエトワール誕生。

http://www.nbs.or.jp/blog/news/contents/topmenu/post-701.html

レオノールは去年TVで放映されたエトワール・ガラでジュリエットをやっていて
何てのびやかなの、素敵なジュリエットだなーって印象に残っていたの。
3月の来日でエフィをやるんだよね、観たかったなぁー
レオノールのエフィなんて
きゃ~~似合う~~~~( 〃▽〃)


で、自分のバレエですが。

年明けて二回行ったけど、気分的には二回とも撃沈…
頭がふぬけになってるよね…
頭を早くバレエモードに戻さなくては。

シェネターンの練習とかね。
右ばっかりずっとやってたら、左回りが全然できないとか
あり得なさすぎる(´-ω-`)
元々、ダンスとか音感とか、鈍いのよ…良くないのよ…
いわゆる運動音痴なんですってば…

カンがいい人になりたい(´-ω-`)

映画にショッピング

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映画を観てきました。
イタリアはミラノスカラ座のドキュメンタリー。
カルラ・フラッチアレッサンドラ・フェリのコメントもあり
ヌレエフの映像もあると聞いたから行ったのですが
ほんのちょっぴりだった(^o^;)

ミラノスカラ座といえばオペラなので
バレエのあつかいは少ないだろうなとは思ってたので想定内。
それでももう少し踊っているシーンが流れたらよかった~。
ボッレとフェリの「椿姫」(ノイマイヤー)が比較的長く流れたのは嬉しかった。
フェリの「椿姫」なんて似合いすぎる、もっと観たかった。
フラッチはお年を召していましたが
こうやって今も語るお姿を拝見できて嬉しい。
ボッレもヌレエフと会った時のことを話してくれていたし
フェリからもヌレエフの話を聞けたしで
嬉しかった。

そういえば、フラッチもヌレエフのことを話していたから…
バレエカテゴリーで出演したメインの3人が3人ともヌレエフの話題だったのよね、
うーーん、嬉や~~( ;∀;)


こういうドキュメンタリーって
出演する人が次から次へとスカラ座の素晴らしさを語っていてですね、
結局は異口同音なわけで
どうも、観ていて退屈な……。

その素晴らしさのわけを、もっとオペラやバレエの映像で納得したかったです。

私はオペラはまったく知らないけれど
流れた映像での歌や演技の迫力は物凄くて
のみ込まれそうと思ったもの、
もっとそういうのを観たかったな。

ポスターの女性はマリア・カラス
人々に崇拝され、神々に愛された歌姫だと紹介されていました。
だから、もっとそれを肌で感じられるような舞台の映像を多く観たかった…。


12月7日のスカラ座の新シーズン開幕日がラストに。
そしてエンドロールには、これまでスカラ座で上演されたポスターが映し出されていました。
上演タイトルと、作曲者と、指揮者の名前は何となくわかる。
歴史が感じられて楽しかった。

そしてエンドロールが短い!!
ハリウッド映画や邦楽と比べて、あっけないくらい短かったです。
それがなんだか好感。
私の苦手な「××制作委員会」とかないんだろうな。
(私は何にでも出てくる「制作委員会」という表記がとても嫌いです)

映画の感想長くなりましたが。
観終わったあとは、一人でお昼ごはん。
スープメインのお店で
ランチセットにあったボルシチを選びました。
ヌレエフ観たから(笑)。(単純)

あったかいボルシチを口に入れながら
そういえばマーゴの自伝で、ヌレエフはコールドビーフが苦手だと書いていたことを思い出した。

凍てつくような寒さのロシアで、貧しい家庭で育ったヌレエフには
料理の温かさも幸せの象徴のようなことだったのかも。
(食べ物にも日々、困っていたそうなので)
そりゃ、コールドビーフなんて食べたいと思わないだろなぁ、と思った。


帰りに自宅近くのお店で
数年ぶりに福袋購入。
洋服の無駄な買い物はしない!!
本当に欲しいと思ったものだけ買う!!と決めて2年くらいかな、
ちょっとだらけて、今どきのファッションをロープライスで買うってことがしたくなりました。

欲しいと思ったものだけ、の買い物でも
ロープライスから選んでるんだけどね。
真面目にやってると、ちょっと遊び心欲しくなるよね…。

バレエレッスン

続けてます。

地味にシャッセって難しい(´-ω-`)


今日のレッスンの先生は久しぶり。
先生が違うと、いつもと違う組み合わせが
バーでもセンターでもあるから新鮮。

前はそれでまごまごしてたけど
今もまごまごしてるけど(笑)
「新鮮」って思えるくらいの気持ちは育ってきたよ!!

バレエは楽しいなぁ。
きついけど楽しいなぁ。

バレエレッスン

あらーーーっっ
いつのまにか12月です。

相変わらずバレエやってます。
進歩は感じませんが(笑)
楽しいですっっ

アラベスクのあと、シャッセ…

シャッセって
単純だけど
美しく出来ない(´-ω-`)

そのあと、グリッサード

美しく出来ない…(´-ω-`)

先生の見本を録画して、何度も何度もくり返し観たいなーーー

忙しいのかな

久しぶりに日記。

忙しく過ごしておりました。
美術館にも行ったり。

そして先日は東京に、Kバレエの「ラ・バヤデール」を観に行ってきた。


よかったわ~~~~
舞台美術も衣装もよかったわ~~~~


いずれ日記に感想を書きたいです。
今はもう、疲労感でぐだぐだで(*´-`)

娘の大学も決まったようなもんだし
春は忙しいなー

味醂干しといえば

いつも心にじわじわと染み入るような、
読書で夜更かしした時の充足感を感じるような、
そんなブログさんがあって、
そこで久しぶりに向田邦子の文章に触れました。

ああ懐かしい、と読み入って
気づくと目尻に涙が滲んでいた。

その昔、まだ家にいて、当たり前のように子供として過ごしていたあの頃。
父と、姉と、そろって
「父の詫び状」というドラマを観た。
親子そろってドラマに観入り、
幼い私は「いいねぇいいねぇ、いいドラマだねぇ」という父の言葉に
うんうん、とうなずく。

我が家には、当時ではまだ贅沢品だったビデオデッキがあったので
録画したものを、何度も何度もくり返し観ていた。
誰かが観ていると、他の家族が寄ってきて一緒に観る。

ドラマの最後の、父親からの手紙の最後の一文は今も覚えている。
正確には、私の父の声と共に覚えている。

父は、その一文がお気に入りで
何度も口にして言っていた。
にこやかに、満足げに。

「みな、この度は格別の働き、ご苦労。」




ある時、
テレビのニュースを観ながら父と母が

「ちょっと変わったいいドラマを書く人だったのに」
「あの人はドラマだけじゃなくて文章もとてもいいのに」

そんなことを語りながら、明らかに何かを惜しんでいた。

何だろうと私はテレビをのぞきこんで、
向田邦子さんという方が亡くなったということを知った。

例えば家族とか親戚とか近所の人とか、
身近な人以外の死を、父と母が残念がるという姿を見たのは初めてだったので
何だか不思議な気分だった。

テレビのニュースで知るような、有名人の死をいたむ…
そうか、そういうことがあるんだなぁ…。

あのドラマの原作者が
向田邦子さんと知ったのは
その前だったのか、後だったのか。
よく覚えていないが…

それからずっとずっと後になって
私は少しは読書を好むようになり、向田邦子のエッセイ集も何冊か買ってみた。


文章で触れる向田邦子の世界は
やはりとても面白くて、
読む頭の奥には、一家揃って観たドラマの風景が染み付いている。
そうだ、「いい」っていうのは
こういうことを言うんだったよね。

あの頃くり返しドラマを観たように
今度は本を、何度もくり返し読む。


で、味醂干しだ。

本の中に、向田邦子さんの、味醂干しに関するエッセイがあった。

(このエッセイの出だしの一文が、かなり素晴らしい)

このエッセイのおかげで、私はスーパーで味醂干しが買えなくなってしまった。
向田邦子さんが、本物の味醂干しを味わうのに
あれだけの苦労をされていたんだから
きっと、これもあれもそれも、本物の味からは程遠いに違いない、と
食べずともそれは確信に満ちたようなとこがあって
なんだか買う気がおこらない。


つまりは私は
味醂干しを見るたびに向田邦子さんのことを思い出しているのですね。
どころか、味醂干し、という言葉を見るだけで思い出している。

そして食べるたびに思い出している。
(こんな私でも、食べる機会はあるのです)


私は味醂干しと書いても泣きたくはならないけど
向田さんのように
色んな思い出がこみ上げてきて、
こういう気持ちはそうね、やっぱり「泣きたくなる」になるのかもしれないね。